なごみ通信 第64号
長い歴史の中、淘汰されずに残るものの魅力を尊重し、現代の帯作りに活かす
「毎日正確に時を刻むことよりも、百年もつことを」。居間の中央に鎮座する振り子時計は、時を計ることよりも、時とともに在ることをよしとして、ここに選ばれました。15分おきにさまざまな音色を奏でる時計は、西ドイツ製。そのシンプルなボディには、製作会社も国もなくなった現在もなお存在し続けるという時の重みを蓄えています。
時の重みを語るのに、京都ほどふさわしい場所はないと言えます。織楽浅野当主・浅野裕尚さんは、歴史によって生まれた京都の価値を事実として受け止め、次世代へ繋ぐ覚悟を感じる方でした。
「織楽浅野」の帯は、絢爛なものではありません。色数が多くなく、持ち主に手を伸ばしてもらうことをじっと座して待つような、泰然とした存在感を放ちます。織物のなかにも、筆で描いたようなニュアンスの線や濃淡、水墨画のような遠近感が表現され、本当に織物なのだろうかと目を疑うほどの表情を見せてくれます。そのヒントとなるのは、何百年ものときを「貴重なもの」として扱われてきた芸術品の数々です。そういったものが京都には多くあり、そのなかのいくつかは、浅野さんの手元にあります。
最古の印刷物、1200年前の織物、800年前の文巻に、奈良時代の百万塔…。そして、俵屋宗達がシダの葉で森を描き、そこへ本阿弥光悦が書をしたためたという作品までが、大切に飾ってあるのです。浅野さんはその作品から、空白の効果と、書のリズム、鈍た色の味わいを見てとります。長い歴史の中、淘汰されずに残るものの魅力を尊重し、現代の帯作りに活かしているのです。
性質を知り、自らのビジョンと照らして選ぶことから、作品作りが始まる
絵を描くには紙が必要です。紙と一口に言っても、紙質や素材、色味などは多岐にわたり、紙の選び方によって作品の表情が変わります。絹も同じく、蚕の食糧や紡ぎ方、織り方によってまったく違う印象の織物になります。性質を知り、自らのビジョンと照らして選ぶことから、作品作りが始まると浅野さんは言います。同じ色で染めても、生地の性質が異なれば、仕上がりは違う色として目に映りる。そのベース作りを自在に表現してこそ、「織楽浅野」であり続けることができるのです。
光と陰の存在
「織楽浅野」を紐解くときに、不可避の観念があります。光と陰の存在です。
古来、日本人は素材そのままの色を白として扱い、歴史を重ねてきました。西洋文化を取り入れた今では、更に色味のないものを白と指し、当時の白のことは素色と言われます。「素」が表すのは混じりけがなく偽りのないこと。その反対は、全てのものを包括する「玄」。素人と玄人という対比には、その示す意味が色濃く表現されています。そして「素」とは白、「玄」とは黒。白と黒とは、明暗でもあり、光と陰のことでもあります。背反する存在でありながら、独立して世の中にあることはない概念。突き詰めると中国の思想家・老子の書にたどりつき、宇宙創世の話へと広がります。
美しさとは、物と物とが作り出す陰影の「あや」にある
途方もなく感じられる歴史を心に留めたうえでも、織られる帯は意外なほど少ない色味で表現されています。足すのではなく、それ以上引く必要もないという状態が、日本の美の本質ではないかと浅野さんは考えます。
美しさとは、物そのものがもつのではなく、物と物とが作り出す陰影の「あや」にある。谷崎潤一郎が、著書『陰影礼讃』にて記した一節です。浅野さんはこの本と出会い、感銘を受け、帯と着物とが互いに生み出す美しさというものを追求するようになったそうです。そこに必要なものは、帯締めと帯揚げと、そして着物を身にまとうご本人。帯を作っていたとしてもただ帯だけを見つめるのではなく、ともに在る全てのものがあやなす美しさを求めています。
独自の世界観を持ちながらも、人と着物との調和を忘れない哲学が、つい手を伸ばしてしまう「織楽浅野」の魅力に現れるのだろうと思います。
先達の遺した美術品や思想、いま自らが肌で感じる世界、そして祖父から続く帯屋としての想い。浅野さんはそれらを混ぜ合わせ、現代に合うアレンジを加えて世に問い続けています。「美しさとはなんですか。不変のものとはなんだろうか。人と世界はどんな関係がいいのでしょうか」と…。