なごみ通信 第65号
「魔法みたい」な着物のお直し
一年の半分を雪と暮らす新潟県十日町市。雪に閉ざされた静かな家の中で、織物の文化が育ちました。1200年も前から麻や絹と付き合ってきたこの土地では、現在、着物のお直しが盛んになってきています。
「きものドクター」として日本の各地を飛び回る、株式会社日紋社長・樋口修さん。いつどこで作られたのか、持ち主でさえわからない着物でも、樋口さんは手触りを確かめ、技法や柄付けを見て、素材や年代を判断します。そして愛着がありながらも諦めかけていた着物や帯を、思いもよらない方法で蘇らせてくれるのです。人はそれを見て、「魔法みたい」と感嘆します。
着物を劣化させない丸洗いはもちろん、食べこぼしのシミ抜きもお手の物。跡が残りがちな赤ワインのシミなどは、生地を傷めない程度に落としたあと、上から柄を足してしまいます。まるで最初からそこには柄があったかのように…。
裾の雰囲気と調和するように、けれども同じにならないように作画する
樋口さんは現在、黒留袖を訪問着へ生まれ変わらせるための図案作りをしています。お母様がご用意くださった黒留袖。着る機会のないままになってしまい、せめて一度は袖を通したいと、訪問着に作り変えることにしたのです。
留袖の特徴である家紋を消し、そこへ訪問着らしく柄を描き足します。裾の雰囲気と調和するように、けれども同じにならないように作画するのは、今まで無数の着物と向き合ってきた経験があってこそできることです。
必要とあらばどんな技術でも生み出すという覚悟
私たちは、買ったばかりの新品の状態を「最良」と思って暮らしているような気がします。新品の状態が損なわれるのは「劣化」であり、劣化が進めば処分し、新たに買い直す、という具合に。しかし劣化したと思っていたものも、樋口さんの手にかかるとたちまち息を吹き返します。そして、「人と物とが一緒に過ごしてきた日々を大切にする」という暮らし方があるのではないかと、気付かせてくれるのです。
樋口さんに救われるのは、着物ばかりではありません。
創業当時、日紋は手書きの紋入れ屋さんでした。最盛期には、山のように積まれた反物の気配を背後に感じながら一日中、筆で紋を描き続けていました。
次第に時代が流れ、着物の需要が減り、着物や帯の職人のなかには仕事を失う人も出てきました。そこへ「着物のお直し」という分野をいち早く取り入れ、職人の腕を再び輝かせられるようにしたのも、樋口さんです。着物を直すということで、持ち主の思いも、職人の矜持も救ってくれていたのです。
「何にも言わなくても、『なんとかしたい』って伝わってくるね。お客さんや着物からは、そういうオーラが出てる」。おばあさまやお母さまの着物や帯を、今の人も着られるようにすることが仕事と断言する樋口さんからは、必要とあらばどんな技術でも生み出すという覚悟を感じます。新しい技術が生まれることで、一つでも多くの着物に手を差し伸べることができるからです。その思いは、医療の発達を願うお医者さんのそれととてもよく似ています。
着る人の心になって
とびきりお気に入りの着物にこぼしてしまったドリンクのシミ。頻繁に着ていたために、ひっかけてしまった刺繍のほつれ。大切にしたくて箪笥に眠らせていた着物の黄変。
それらに気付いたときの、言葉にできないほどの不安と落胆を救ってくれるのは、「着る人の心になって」と語る職人さんでした。
熟練のお直し職人は、今日も日本のどこかで「きものドクター」として、憂いのある顔をひとつひとつ笑顔に変えています。