なごみ通信

なごみ通信 第68号
なごみ通信 第68号
なごみ通信 第68号

なごみ通信 第68号

長野 松本
日本料理 温石(おんじゃく) :須藤剛

不安と緊張で研ぎ澄まされた神経は、自然と多くのものを感じとる

伝統の中にも近代的なセンスが光る、長野県松本市。日常が香る一角に、小さな日本料理屋「温石」があります。木目の美しい表札だけが目印の、隠れたお店です。

ウェブサイトには外観や料理の写真は一切なく、人伝てに聞かなければ見過ごしてしまうような店構え。足を踏み入れていいのかしらと不安になりながら進み、その先の暖簾と灯りにひとつ肩の力を抜き、出迎えてくれた奥様の柔らかな雰囲気にまた胸を撫で下ろす。この瞬間から、ご主人・須藤さんのメッセージが始まっていました。

不安と緊張で研ぎ澄まされた神経は、自然と多くのものを感じとります。木漏れ日の揺らぎ、木の廊下を踏む足音、厨房の気配、陽光の移ろい。店内の素朴な白さも、それらを素直に味わえる手助けをするのだろうと思います。

素材を最大限に生かすことが僕の仕事

ひとつひとつに向き合う準備を整えたお客様に出されるのは、銘々の素材の良さを引き出すよう調理された、美しいお料理です。とろけるような小蕪に、パリパリのスナップエンドウ。香り立つこしあぶらを優しく包む葛や、天辺に鎮座するサクサクの山ぶどうの若芽。引き立て役の素材はなく全てが主役を担う一方で、お皿のなかで優しく調和していました。普段馴染み深い野菜が、至福の一皿へと変化する様子に、須藤さんの素材への慈しみを感じます。

現在、一年中どこでもいろんな野菜が手に入りますが、松本でお店を開くときに「ここの野菜で」と決めていたという須藤さん。露地の野菜が採れない期間はお店を閉めていたこともありました。松本の野菜で生き、松本の土地と同じリズムで休むという、当たり前にしていた昔の日本人の生活が、真に豊かな生活なのではないかと須藤さんは言います。そして、土地と呼応しながら暮らす農家さんに対し、敬愛を示しています。

「この人が野菜を作ってくれて、僕が調理するという関係なので、その素材を最大限に生かすことが僕の仕事かなって思ってます。農家さんには頭が下がるし、かっこいいし、本当に大きな存在ですよね」。

最高のものではなく、手に取れる土地のもので最良を作り出すこと

修行をしていた東京から地方へ出てきたばかりのころ、須藤さんは「日本料理はかくあるべき」「こういう食材でなければ」という考えを持っていたそうです。けれども農家さんと触れ合うなかで、自然と柔軟な感性へと変わっていったと言います。

最高のものではなく、手に取れる土地のもので最良を作り出すこと。日本料理の固定観念にとらわれず、自由に楽しむこと。農家さんを尊重する気持ちが、現在の須藤さんの料理に表れています。

各々の異なる器は、ひとりひとりのお客様へ。一皿のなかでも様々に楽しめる食感は、ひとつひとつの食材へ。

それらの「個」を尊重した須藤さんのお料理は、不思議と土地という「全」とも調和します。料理をいただく一口が、なんとも言えず胸を落ち着かせるのは、人が人らしい営みに戻っていく安堵感なのかもしれません。

須藤さんの料理に惹かれる方は、温かな気持ちでここへ向かい、帰る

「温石」とは、焼いた軽石を布に包み懐に忍ばせて暖をとったもの。須藤さんの料理に惹かれる方は、温かな気持ちでここへ向かい、帰るのだろうと思います。その気持ちを温石と同じように、人知れず、胸に大切にしまって。

長野 松本
日本料理 温石(おんじゃく)
須藤剛