なごみ通信

なごみ通信 第83号
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なごみ通信 第83号

石川
漆作家 :山岸紗綾

他を凌駕する端麗さと清涼感

その昔、「加賀百万石」と名を馳せた藩主前田家は武具修復所として設けた「御細工所」を皮切りに工芸・調度品制作の職人を育成し、藩を挙げて文化振興・奨励に尽力します。

以来、400年を超える悠久の時の中、この地に引き継がれ熟成された工芸文化は見事に花開き、友禅・九谷・漆器・箔・繍・象嵌…と枚挙に暇がないほどの優れた工芸品が石川県産として認定されてきました。

「漆作家 山岸紗綾さん」の作品を初めて見た時に感じた他を凌駕する端麗さと清涼感。
それは、この地に生まれ育った人が潜在的に秘める素養が放つ香気だったのかもしれません。

人生のターニングポイントで生まれた「いつかまた」はないのでは?という感情

代々続く九谷焼を継承する陶芸家の父と織物作家の母のもとに生まれ、金沢美術工芸大学にて漆工芸を専攻、卒業後は金沢卯辰山工芸工房へ入所。家族全員が同じ美大卒という純粋培養のサラブレッド。「昔から書籍、雑誌の装丁やファッションに興味がありました。グラフィックやデザイン系に進みたかったんです。」そんな紗綾さんを漆芸の道に誘ったのはふとした機会に出会った小さな櫛簪でした。蒔絵や螺鈿、金属や貝を施され色褪せることなく目の前に置かれた簪が紗綾さんの心を揺さぶります。漆芸や蒔絵の技法は今学んで習得しなければ、将来「いつかまた」はないのでは?と。一転、デザインへの熱意を持ちつつも、漆の特性を学び蒔絵などの加飾工程について研究を重ねる日々がスタートします。

紗綾さんの制作工程は独特で、まずイメージがヴィジュアルで「ポン」と生まれるといいます。それを記録(デッサン)に残し・木地を削り・漆で下地を作ります。作品には逆目の立ちにくい「朴」の木を使います。室の代用にと工夫した桐箪笥の中で湿度コントロールをしながら塗り・乾燥・研磨という工程を繰り返します。巧緻を極める蒔絵を施すためには炭を使っての研磨をなおざりにはできません。こうした丁寧な下地作りを経たのち、下絵を転写し、金粉などを用いて輪郭を際立たせ、蒔絵や卵殻・螺鈿加工など漆芸のメインとなる加飾の作業へと移ります。

ゆったりとした速度で作り手の成長を見守り、美へと導く漆

自然界の産物である漆は木が自らの傷を塞ごうと出す乳白色の樹液です。漆の塗膜はとても柔らかくそして堅強です。技術がこれほど進歩した現代の化学塗料を以ってしてもなおその優れた特性を凌ぐことはできません。漆の保湿性は表面張力を生み、作品にふっくらとした美しい深みをもたらします。そしてなにより、漆はゆっくりと乾きます。

漆の乾燥は水分蒸発による一般的な「乾く」という概念とは異なり、空気中の酸素を取り込み成分のゴム質が化学変化で硬化する現象を「乾く」と表現します。他の物質と程よく調和し、加熱によって乾燥時間を調節できる漆ならではの特性。「乾きの速度が遅いからこそ蒔絵という技法が生まれ、多様な表現に発展してきたのかもしれません」と語る紗綾さん。全てがスピード化していく時代に逆行するかのように、ゆったりとした速度で作り手の成長を見守り、美へと導くことへの不思議。

そして加飾加工の仕上げにはより細かな番手へと研ぎ進み、最後は指の感覚だけを頼りに人の肌合いにより近づけていくと言います。いつか耳にした、百万色の染料をも識別でき、触覚に至っては0.1μmあたりまで判別可能という鍛えられた職人の神業的五感の領域に思いを馳せながら作業を見守ります。

きっと私の思い浮かべる風景とは違う景色が生まれているはず

今、紗綾さんは二つのテーマに沿って創作を続けています。

一つは「風景を纏うように」と、松や竹など吉祥のモチーフを用い、日本人の心象風景を呼び起こす作品作り。またその一方で、架空の植物「種子」シリーズのオブジェを生み出し私たちを空想の世界に誘います。桐の箱に入った作品には各々名前が付けられ、蓋裏には標本のように説明文が添えられています。

全てが彼女の中で生み出された想像の産物であるにもかかわらず、まるで現存している生物のような具象さで手に取る者を夢の中に引き込みます。

「デッサンから作品が生まれそこに物語ができることがワクワクします。それを手にした方が自分の想像力を加味することで作品が違うものへと進化していくことの愉しさ。きっと私の思い浮かべる風景とは違う景色が生まれているはずですから…」と。

一見かけ離れたように思える二つのテーマは、森羅万象という大きな自然の循環の中で巡り繋がります。万物の象徴である五気。木は火を生じ火は土を、土は金属を内包し、金属から水が生まれ、そしてまた水は木を育てゆく。宇宙の巡りは五行の循環によって保たれ、自然の中に神仏を想い、敬う私たちの大切な文化を育んできました。

「漆作家 山岸紗綾さんが長い時間を費やし、緻密な作業工程を経て生み出す優美で繊細なジュエリーや工芸品。小さき創造物は時代の流れに惑わされることなく凛とした光沢を放ちながら私たちが手放そうとしている大切な自然との交わりを静かに語ってくれているようです。

石川
漆作家
山岸紗綾