なごみ通信

なごみ通信 第78号
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なごみ通信 第78号

山梨 甲府
表具 凪於彌(なおや) :石部尚樹

沢山の?をひとつひとつ調べあげ確認し、作品は仕上げられていく

甲府市郊外とは思えないほど長閑な場所に表具師 石部尚樹さんのお店「表具 凪於彌」はあります。京都の茶室を写したという四畳半台目のしつらえには石部さんのこだわりがそこここに感じられ、お願いする作品の出来上がりが一層楽しみに思えてきます。

うららかな陽射しがゆらゆらと影を落とす一冊の古い「歌裂集」を前に石部さんがお話を始めて下さいました

「こうした下絵の施された上に歌をしたためた歌裂には日本文化が凝縮されているんです。和紙そのものは勿論ですが、仮名散らし、金下絵、金砂子、と見ているだけでも十分楽しめる優美な世界です」

どういう格式の方が、いつの時代に、 どんな紙に、どういう墨で、何が書かれているのか。そしてそれが、どういう用途でいつの季節にどこの場所で何に使われるのか、どこの場所に納まるのか。

こんなに沢山の?をひとつひとつ調べあげ確認し、依頼主とのやり取りを重ねながら作品は仕上げられていくのです。

「描かれ・文字のしたためられた紙はそれそのものが人格なのです。 皇族や公家の方にTシャツとジーパンをはかせる訳にはいきません」と石部さんはおっしゃいます

おのずと熟練の技と深い知識・経験が求められるように

そもそも「表具師」は奈良時代当初「経師」とよばれ、仏教の経典に裏打ちをする巻物や仏画などを掛物にする職人として、特に日本文化の発信地である京都を中心に活躍します。時代が移り「床の間」文化の完成により掛け軸が普及します。また利休以降、茶の湯文化の発展により「鑑賞」としての装飾品へと製作の幅を広げていきます。さらに現代においては、建築の洋式化に伴い、表具は床の間だけではなく、絵画や屏風など空間を飾る美術品として更に多様化しています

作業範囲の拡大により、おのずと熟練の技と深い知識・経験が求められるようになります。

和紙は「宇陀・美栖・美濃」などその機能を使い分け、裂地もまた書かれたものの格によってその取り合わせが変わります。織と文様の組み合わせをも合わせると美術に関する知識のみならず、配色の優れた感覚もまた重要な資質に問われます。どれほど高いスキルが要求されるお仕事なのかと、考えただけで思わずため息がこぼれます。

いいと思える作品を手元に置き、直し、残していくことで貴重な美術品が循環していく

「学ぶことは自分との戦いでした。上質な物・本物を見る眼を養うため京都に出向いては文化財に触れ、美術館を巡りそして自分が美しいと想う感性を大切に育ててきました」とこれまでを振り返りながらお話は続きます

和紙・糊の材料や刷毛などの道具もできるだけ昔ながらの材料を使うよう心がけています

現代に生まれた新しい紙や糊などは果たしてこれから500年後も変わらずに機能できるのか。科学的実績がないものはむやみに使えないと石部さんは言います。もちろん、エアコンが普及された現代の室内では、昔ながらのでんぷんの糊では対応できないこともあり、湿度に強く、シミのできにくい薬剤を配合した糊を使用することもあるそうです。時代とともに変化する環境への調査・対応も欠かせません。

少し前、石部さんは燕の絵が書かれた昔の掛け軸を手に入れます。「かわいそうなくらい燕が痛んでいた」と冗談交じりに笑いながら実物を見せてくださいました。絵の具で描かれたものはドーサで色止めを施し、シミを洗い、カビを落とし仮張りしていきます。その修復の工程は着物の洗い張りにとても似ていて驚きます。

「初夏の空を羽ばたくように」と雲文様の一文字、少しグレーみを帯びた秘色色の裂地を中回しに、と載せていきます。そして裂地を採寸するや、程なく裁断を始めた石部さん。まるで寸法は体が覚えているかのようにためらい無く作業が進みます。

代々続く表具師の家系で生まれ、家業を継いでから費やした30年という月日が推しはかれるほど、それは正確で美しい手さばきでした。

こうした美術品の修復を数多く手掛ける方は県内にはとても少ないと伺いました。

「いいなぁと思える作品を手元に置き、直し、残していくことで貴重な美術品が循環していくと僕は思います。こうしている間にもたくさんの価値ある美術品が日々廃棄されています。取り壊された家屋から出て捨てられた巻物の中に御宸翰(天皇直筆の文書)があったという話も聞いたことがあります。

私たち日本人が本来の日本人らしさを取り戻してくれたらもっと見直される文化領域なのかもしれませんね」と感慨深げに言葉を結びました

日々のしつらえを楽しむ心

季節の巡りにあわせて軸を替え愛でて楽しむ。軸が掛かると取り合わせとして花や器にも興味が湧いてきます。こうして膨らむ小さな楽しみは慌ただしい毎日に潤いと寛ぎの時間を与えてくれます

日々のしつらえを楽しむ心。

一人一人のそんな小さな喜びこそが日本に根付く伝統文化を育て、次の世代へと大切に伝えていくひと粒の種なのかもしれません。

山梨 甲府
表具 凪於彌(なおや)
石部尚樹